2020年9月19日土曜日

理想と現実の狭間を突き進む ー大原孫三郎について

 先日、倉敷に行ってきました。

倉敷にある大原美術館において城山三郎さんの作品が販売されていたので買いました。大原孫三郎を扱った「わしの眼は十年先が見える」です。
 大原孫三郎は、大地主であり倉敷紡績(クラボウ)の設立者である孝四郎の息子として生まれました。少年・青年期の孫三郎は「バカ息子」という言葉がぴったりです。勉学のため上京したものの、孫三郎は1万5千円(現在の金額で1億円)もの借金を抱えてしまい、倉敷に連れ戻されてしまいます。後年、孫三郎は社会事業にお金を大量に注ぎ込みますが、お金の使い方が大胆なのは若い頃からのようです。孫三郎は父の跡を引き継ぐと、経営者としての手腕を発揮します。倉敷紡績を発展させるだけでなく、倉敷絹織(クラレ)や中国水力電気会社(現在の中国電力)を設立します。また、小さな銀行を合併させて中国合同銀行(現在の中国銀行)を作り、その頭取となります。まさに岡山・倉敷の経済界の中心人物だったと言えるでしょう。しかし、孫三郎は経営者としてよりも、社会や文化への貢献が有名です。倉敷紡績の女工の待遇の大幅な改善。孤児院を設立し、孤児や貧困にあえぐ子供を救おうと奮闘する石井十次への莫大な資金の支援。農業研究所・社会問題研究所・労働科学研究所の3つの科学研究所の設立。倉敷紡績の社員だけでなく、一般市民も利用可能な病院の設立、そして大原美術館の開館など、孫三郎の社会貢献は列挙するとキリがありません。孫三郎は、経営者としての会社の利益という「現実」とよりよい社会にするという「理想」、この狭間を突き進んでいった人間といえるでしょう。
 なぜ孫三郎は経営者として利益を追求するだけでなく、社会貢献にも力を注いだのでしょうか。筆者である城山さんはその理由を彼の少年・青年期に求めています。少年時代の孫三郎は大地主の息子ということで嫉妬や羨望の対象でした。当時は今よりもより身分による区別が色濃く残っていたというのもあるでしょう。孫三郎には心からの友人が少なかったようです。また、東京遊学中にあれほどおごってあげた友人たちは孫三郎が倉敷に戻るとパタリと音信が途絶えたのでした。このような経験から彼は「本当の友人」や「仲間」を切望していました。そのため、女工さんや小作人と「資本家」と「労働者」して付き合うのではなく、対等な仲間でありたいと考えていたと思います。また。石井十次や画家の児島虎次郎といった孫三郎が理想に共感した人物には協力を惜しみませんでした。作中では、主人公の孫三郎と理想に燃える石井や児島、そしてもう一人、おそらく作者の創作であると思われる砂田の存在が興味深いです。砂田は孫三郎と同じ資産家の息子であり、早く跡継ぎを作り自身は一日でも早く楽隠居になることを目指している人間として登場します。石井や児島と砂田。これらの人物との対比によって、孫三郎がもがき揺れ動きながらも、その間を懸命に進んでいく姿がはっきり浮かび上がってきます。このあたりの人物の描き方はさすがだなと思います。ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
 大原孫三郎について、興味を持ったのでもう一冊読みました。それが、兼田麗子著「「大原孫三郎ー善意と戦略の経営者」です。彼女はこの作品以外にも複数の大原孫三郎についての作品を書いており、まさに大原孫三郎の専門家と言えるでしょう。同時代の代表的な資本家である渋沢栄一と武藤山治との比較はとても興味深いです。こちらの本もおすすめです。



2020年9月17日木曜日

「沈黙」の創作秘話

 遠藤周作さんの作品のなかで最も有名と思われる名作「沈黙」。この沈黙の創作秘話や文学と宗教の関係についての講演録をまとめたのが「人生の踏み絵」です。一番面白かったのは,「沈黙」の創作秘話について語られている「人生にも踏絵があるのだから ー『沈黙』が出来るまで」です。以下の文章が印象に残りました。

戦後の人たちも今の人たちもでも,やっぱり多かれ少なかれ,人生の踏絵というものを持って生きてきたはずです.われわれ人間は自分の踏絵を踏んでいかないと生きていけない場合があるんです. 

 今の日本人は理想や憧れの生き方を政治や社会情勢のために押し殺して生きていかないといけない、ということは殆ど無いでしょう。ただ、現代日本人も「自分の踏絵」を持って生きているというのは賛同できるのではないでしょうか。
 ここで「踏絵」というのは、ただの「挫折」とは異なります。「踏絵」を踏まないとキリシタンと認定され、踏まなかった本人だけではなく家族まで罰せられる可能性があります。少なくとも周りの非キリシタンから家族は白い目で見られるでしょう。「踏絵」を踏まずに信念を貫くという行為は、他人を傷つける恐れがあるのです。「踏絵」を踏んでしまう人は弱い人間かもしれませんが、同時に周囲を傷つけたくない人ということができます。おそらく私は目の前に踏絵を差し出されたら踏んでしまう弱い、平凡な人間でしょう。「沈黙」はそんな弱い私のような人間にフォーカスして描かれた小説なのだ、と思うと「沈黙」をもう一度読み返したくなりました。
 また、主に西洋のキリスト教文学について語った「文学と宗教の谷間から」もとてもおもしろかったです。特にモーリアック「テレーズ・デスケルウ」についての文章がとても印象に残っています。遠藤さんは、この小説のおもしろさを人間の混沌とした心理を描いたことであり、ある行動をした心理を一つの心理で片付けていないことだとしています。そして、遠藤さんは小説「海と毒薬」はこの作品の影響を受けたものだと語っています。確かに読み返してみると、作品の冒頭で戦後の勝呂が独り言のようにつぶやいた言葉などには「テレーズ・デスケルウ」の影響を感じることができます。
 この本を読むことによって、「沈黙」などの名作をより理解できるとともに、小説の裏にある遠藤さんの人生観や人間観が少しわかる気がしてとてもおもしろかったです。遠藤作品をよりおいしく味わうためのスパイスのような存在でありながら、ひとつの料理としても十分に味わえる、そんな一冊です。

2020年9月16日水曜日

将棋の振り返り(向かい飛車 vs 飯島流引き角戦法)

 将棋の振り返りをしていきます。今回は対飯島流引き角戦法です。飯島流引き角戦法は飯島栄治七段(段位は2020年9月現在)が編み出した戦法で、飯島七段はこの戦法で升田幸三賞を受賞されています。私は大学生になって将棋熱が再燃し現在に至っていますが、私の将棋熱に火をつけた友人のエース戦法がこの飯島流引き角戦法でした。角道を開けてくれないので私の得意な△3三角型角交換四間飛車が使えないため、最も苦手意識のある戦法かもしれません。それでは棋譜を振り返っていきましょう。私が先手番です。
 得意の角交換四間飛車に持ち込もうと角道を開けたまま駒組みを進めました。なかなか相手が角道開けてこないなと思っていたら△5三角でようやく飯島流引き角戦法だと気づきました。久しくやられていなかったので気づくのが遅れてしまいました。とりあえず向かい飛車に振り直して25手目で▲5五歩と仕掛けていきました。相手の右銀が前にくる前に一歩持っておこうという魂胆です。

 相手の銀が進出してくると相手の攻めが当たってきそうで少し怖かったですが、左桂が活用しやすいように角は6六に引きました(図3)。その後お互い攻めの銀を4段目まで進出させて、4筋の歩をつきあったのが図4です。▲4六歩に対しては△8五歩としてくるかなと思っていました。△4四歩も普通の一手ですが、▲4五歩から仕掛けることができるようになったので少しありがたく感じました。


 図4から思い切って飛車を4筋に転回し△7三桂に対して▲4五歩といきました。実戦では△同歩同銀と進行しましたが、▲4五歩に対して△8五歩から△8六歩の攻めのほうが厳しく、これは無理筋だったようです(参考図1)。参考図1から▲8六同歩△同飛▲7七桂△8九飛成▲5八金と進んだのが参考図2です。これは龍ができて後手よしです。ただし、ここで△9九龍と香車を取っていると▲6五桂の反撃があります。参考図2の場面は少しだけ後手がいい、という程度でまだまだ難解な局面のようです。


 図4から4筋の歩を交換したあと後手は△5五銀と指してきました(図5)。ここでおとなしく▲8八角とするか▲5四銀と激しくいくかでとても迷いました。悩みに悩んでここまで積極的にきたのだからと▲5四銀といきました。検討の結果、どちらでもよかったようです。図5から▲5四銀△6六銀▲同歩△3五角▲5三歩△同金▲同歩成△同角と進んで図6です。角金交換で後手駒得ですが、手番を握っていることとこちらの方が飛車がよくはたらいていることから少しだけいいんじゃないかなと思っていました。


 図6から激しい攻め合いになって図7です。▲5三歩成に対して後手が△7九飛としてきたところです。王様の囲いは先手のほうが固く、こちらが手番ということでかなり優勢になったと思っていました。しかし効果的な攻め方がわかりませんでした。図7から▲4三歩△同歩▲4二金△同金▲同と△同飛▲5三角と精算して飛車を取りに行きましたが△3一金(図8)とがっちり受けられると攻めが続きません。「3枚の攻めは切れる」といいますが、まさにその通りですね。これで再び互角に戻ってしまいました。


 図7から▲4三歩△同歩のあと▲4二金に代えて▲5二銀(参考図3)だと次の▲4三とが厳しく優勢だったようです。△3四銀と受けられても露骨に▲4二金(参考図4)としておけば攻めが途切れずに有利です。実戦では図8から攻めが途切れてしまい、そこから泥沼の戦いになっていきました。的確な攻めができるように頑張りたいと思います。

嬉野流 vs 向かい飛車△3二金型

2020年9月15日火曜日

【AtCoder解説】動的計画法を使わずにABC178のD - Redistributionを解いてみる

 久しぶりにAtCoderに参加しました。D問題の公式解説が動的計画法を使っていて難しかったので、自分なりの解法をメモしておきたいと思います。用いるのは高校で習う数学Aの知識です。まずは問題文のおさらいです。 

問題文:整数 S が与えられます。 すべての項が 3 以上の整数で、その総和が S であるような数列がいくつあるか求めてください。ただし、答えは非常に大きくなる可能性があるので、 109+7 で割った余りを出力してください。

制約 :1 S 2000, 入力はすべて整数

 例として、 S = 11 のときを考えてみましょう。まず数列の最大の項数を考えます。すべての項が3以上という条件から11 ÷ 3 = 3 ・・・ 2 で最大の項数は3であることがわかります。それでは項数が3のとき、S = 11となる数列はいくつ存在するでしょうか。ここでは、玉と箱を用いて考えます。今回はS = 11かつ項数3なので玉を11個、箱を3つ用意しました。箱の中に入っている玉の数が数列の各項に対応します。まず箱には少なくとも3つの玉が入っている必要があるので、あらかじめ3つずつ玉を入れておきます。すると、残った2つの玉を3つの箱に振り分ける方法は何通りあるか、という問題に帰着します。たとえば前2つの箱に1個ずつ入れると、これは数列{4, 4, 3}に対応しています。数列{4, 4, 3}は確かにS = 11かつ項数3の数列ですね。



 さて、このような振り分け方は何通りあるでしょうか。これを求めるのが「重複組み合わせ」です。残り2つの玉の3つの箱への分け方は、2つの玉と2つの仕切りの並べ方と対応します。この場合は6通りあることがわかります。あとはこれを箱が1つのとき、2つのときの場合の箱への入れ方も計算して、すべてを足せばいいわけです。


解法をまとめます。
  1. 入力Sに対して最大の箱の数を求める。
  2. 最大の箱の数をXとする。箱の数が1からXのときそれぞれに対して以下の計算を行う。
    ・あらかじめ箱に入れておく玉を入力Sからひく。
    ・残りの玉の箱への入れ方が何通りあるか求める。
  3. 箱の数が1のときからXのときまでの残りの玉の箱への入れ方を合計する。答えを109+7 で割る。
 Pythonでの解答例を示します。今回は階乗の計算にライブラリ「math」の「factorial」wを使いました。階乗の計算ではオーバーフローに注意してください。// のところを / とするとfloat型の計算となりオーバーフローします。また、(factorial(ball) * factorial(box - 1)) を factorial(ball) // factorial(box - 1) とするのもオーバーフローの可能性があるようです。
from math import factorial
 
S = int(input())
 
ans = 0
for i in range(S // 3):
    box = i + 1  # 箱の数
    ball = S - 3 * box # あらかじめ箱に3こずつ入れたあとの残りの玉の数
   
    # 箱への入れ方が何通りあるか計算。
    # 仕切りの数は box - 1 であることに注意
    ans_ = factorial(ball + box - 1) // (factorial(ball) * factorial(box - 1))
    ans += ans_
print(ans % (10 ** 9 + 7))
 
 久しぶりのAtCoder、とても楽しかったです。次も頑張りたいなと思います。

2020年9月14日月曜日

名和長年公の戦没遺跡

 京都市内を当てもなくぶらぶらしていると、なにやら大きいモニュメントが。近づいてみると、名和長年公の戦没遺跡でした。名和長年は南北朝時代の武将です。「名和長年」という名前を久しぶりに見ました。そしてたちまち小学校時代にタイムスリップして懐かしい気持ちになりました。
 私は小学生のとき歴史に強い興味を持ちました。荒俣宏さんの「21世紀こども人物館」を隅から隅まで読みました。今でもこの本は家にあるのですが、手垢で真っ黒です。歴史のなかでも男の子らしく(?)戦いのある時代が好きでした。一番好きなのが戦国時代で、その次に好きだったのが名和長年が活躍した鎌倉時代末期から室町幕府成立までの時代でした。この時代に興味を持ったきっかけが「太平記」です。ただし「太平記」といっても、小学生でもわかるように平易な文章に書き直したものだったと思います。名和長年は隠岐から脱出した後醍醐天皇と合流し、鎌倉幕府を滅ぼす原動力となりました。その後、後醍醐天皇の政治(建武の新政)では役人を務め、足利尊氏が後醍醐天皇のもとを離れると楠木正成や新田義貞と協力して尊氏と戦いますが、1336年にこの地で討ち死にしたようです。
 「平家物語」では平氏は政権奪取後おごりたかぶっていた存在として描かれているので、源氏にやられてもしょうがないかなと思っていました。しかし、「太平記」において後醍醐天皇とその周りの公家はともかく、名和長年ら政権側の武将たちは隆盛を誇るような記述はなく役人として忠実に働いていたイメージです(小学生の頃の記憶なので間違っているかもしれません)。尊氏の勢力が徐々に強大になっていくのを感じて南朝方の武将を応援しながら「太平記」を読んでいましたが、私の応援むなしく名和長年や新田義貞、楠木正成は敗戦し死んでいくことになります。それらの場面では子供ながら非常にもの悲しい気持ちになったことを記念碑を見てしみじみと思い出しました。
 「太平記」、もう一度読んでみようかな。


2020年9月13日日曜日

将棋の振り返り(嬉野流 vs 向かい飛車△3二金型)

  将棋の振り返りをしていきたいと思います。今回は対嬉野流です。嬉野流は奇襲戦法の一種という認識でしたが、アマチュア間ではすっかり市民権を得ましたね。プロ棋士の採用はほとんどありませんが、最近牧野光則五段が王将戦予選、対西川六段戦で使っています。
 私は嬉野流に対しては△3二金型(今回は先手なので▲7八金)の向かい飛車で対抗するようにしています。△3二金型の向かい飛車にしておけば少なくとも作戦負けをすることはないというイメージです。では振り返りをしていきましょう。
 ほとんど定跡通りの進行から▲6五歩と突いて銀を退却させたあと(図1)、手が広く迷いました。本譜は「位を取ったら位の確保」で▲6六銀を選択しました(図2)。ほかにも▲5七角や▲4六歩、銀冠を目指す▲2六歩などが候補にありました。どの手を選択しても一局だったようです。

図2から飛車を5筋に振り直し揺さぶりをかけていきました。後手が△5二飛車としてきたのを見て元気よく▲8五桂と跳ね出しました(図3)。銀当たりになっているうえに一歩得をして先手十分です。ただし、そのあとの△7五歩を手拍子で同歩と取ってしまったのが失敗でした。8筋に追いやった銀をさばかせてしまい、こちらの桂馬が遊んでしまっています。また後手が同角としたとき次に△4八銀があるのが痛かったです(図4)。△7五歩に対して▲6七金と金を進出させておいて▲7九飛としておけば先手が優勢だったようです(参考図1)。

 図4からずるずると後手ペースになっていきました。図5ではすでに後手勝勢です。手番を握っていて駒得しています。こちらとしては7八の金が遊んでいるのも痛いですね。図5では△8四角から△4八銀を狙う手や△5八歩△5七歩と叩いておいて△1七角成!で飛車を抜く手などよりどりみどりな局面です。
 図5から後手からの厳しい攻めが続きましたが、勝負手として放った▲6四歩が実って徐々に追い上げることができました。図6の場面ではほぼ互角に戻ったなという認識でした。手が見えなかったため▲5四歩(図6)から▲5三歩と垂らしましたが、これは攻めが遅かったです。図6では▲5四歩ではなく▲7三歩がよかったようです。△7一歩と受けてくれれば後手歩切れとなりますし、△7五飛車には▲6八金から底歩で受けておけば、▲7二歩成を楽しみにすることができます。▲5三歩に対して逆襲を喰らい、参考図2では角と龍に睨まれて先手玉は風前の灯火といって感じです。ここで▲6九歩が将棋ソフト推奨の参考となる一手です。龍の効きをそらすことで攻めを遅らせることができます。歩をもっと上手に使えるようになりたいです。
 図6から粘っているうちに相手の王様にもあやがついてきて図7の場面では後手玉に詰みが生じています。3二の地点で精算してから11手詰めです(参考図8)。精算して詰みそうな気がしたのでよく考えたのですが詰み筋を発見できませんでした。あきらめて図7から▲2八玉と早逃げしたのですが、二度とチャンスは来ずに負けてしましました。

 参考図8では▲2四桂△同玉としてから▲4一角とすればあとは比較的簡単な並べ詰みでした。歩頭に桂馬を捨てる手が見えませんでした・・・。自分の終盤力のなさを実感した対局となりました。詰め将棋や必死問題をしっかり解いて終盤力の強化に努めます。

2020年9月12日土曜日

双ヶ丘から仁和寺を眺める

 先日仁和寺に行ってきました。仁和寺は去年の秋に将棋の竜王戦が行われてからずっと行きたいと思っていた場所でした。御殿に入ると竜王戦で使われた将棋盤や対局者の揮毫した扇子などの展示がありました。一将棋ファンとしてとても嬉しくなりました。残念ながらポスターが反射して上手に撮れていませんが・・・。

 御殿から眺める庭園は強烈な日差しを浴びて緑、青、白のコントラストが見事でした。仁和寺と言えば春の御室桜が有名ですが、夏に訪問するのもいいと思います。近代的な建物は見えず、市内の喧噪も聞こえないため平安時代にタイムスリップしたかのような気持ちになることができました。また仁和寺を訪問された際は是非霊宝館にも訪れていただきたいです。虫眼鏡がないと読めないほど細かい文字で紙面にびっしりと書き込まれたお経や豊富なイラストが描かれている百科事典(?)のような書物など、仏像やお経に詳しくない私でも視覚的にとても楽しむことができました。
 仁和寺の訪問後、まだ少し時間があったので双ヶ丘(ならびがおか)に行ってみることにしました。双ヶ丘は徒然草の作者である兼好法師が晩年を過ごした地とされています。双ヶ丘の東側には兼好法師の家があったことを示す石碑がたっています。双ヶ丘には一の丘から三の丘まであります。一の丘からは仁和寺と太秦方面の景色を眺めることができます。二の丘は京都タワー方面の景色が素晴らしいです。一の丘と二の丘の間にある「とおみのひろば」からは比叡山や大文字山まで見ることができるそうですが、この日はもやがかかっていて見ることができませんでした。毎日犬の散歩がてら一の丘に登っているおじさんによると、新型コロナウイルスが流行する前はよく外国人旅行者の方がいらっしゃっていたようです。そして、景色を眺めながらいつまでもゆっくりと会話しながら楽しんでいたそうです。

「それが旅行ってもんだよな」

 おじさんの言葉が心に刺さりました。もし私が外国からきた旅行者だったらついつい金閣寺や清水寺など有名な観光スポットをできる限り多く巡ることばかり考えてしまいそうです。しかし、観光スポットとしては見向きもされないようなこの場所で会話を楽しみながらゆったりと過ごす。なんて素敵な時間の使い方だろうと思いました。まもなく京都を離れる私はさながら旅行者のような存在です。京都で過ごす残りわずかな日々を存分に楽しもうと思いました。
 双ヶ丘、京都通の方でも足を運んだことがある人はなかなかいないのではないでしょうか。是非是非行ってみてください。

2020年9月11日金曜日

将棋の振り返り(角交換四間飛車△3三角型 vs エルモ囲い)

 古森先生の「角交換四間飛車の新常識 最強△3三角型」を読んでから、△3三角型の角交換四間飛車が私のエース戦法となりました。今回は△3三角型の角交換四間飛車に対して居飛車が角を交換せずエルモ囲いに組んだ将棋の振り返りをします。△3三角型の角交換四間飛車(図1)に対して先手が▲4六歩からエルモ囲い+4八金2八飛車の形を作ってきました。私は飛車を2筋に振り直し、△3二金型向かい飛車にしました(図2)。図2の局面から△4二角、△3三桂馬、△2一飛車とできれば向かい飛車の理想型だと思いますが△4二角に対して▲4五歩とされる変化が怖かったためあきらめました(将棋ソフトによる検討だと▲4五歩△同歩▲8八角成△同金で互角のようです。しかし金がそっぽに行くので人間的にはやりにくいですよね。角を持っても先手陣には角を打つ隙がないのもつらいです)。

 本譜は図2から△2四歩と仕掛けていきましたが、これは無理筋だったようです。▲同歩△同角▲4五歩に△3三角(図3)から飛車交換をして▲4四歩にじっと△5二銀と引きました。この局面は4筋に拠点を作られたものの手順に王様を固めることができ、△2八飛車からの攻めもあるため互角かなと思っていました。しかし実際は▲2三歩で先手優勢だったようです(参考図1)。▲2三歩に対して△3一角は▲4三歩成から▲1一角成があります。△同金には▲4二飛車が厳しいです。

実戦では▲3五歩から戦線拡大を目指してきましたが、これがやや甘かったようです。私は△2八飛車から反撃を開始します。▲3八銀に対して△3五歩と取り込みました(図4)。△3五歩に代えて△4七歩も有力です。実戦では△4七歩を打つべきかとても考えました。最終的に▲4九金とされると攻めが続かず、次に▲2七歩のふた歩から▲3九金が見えたためやめました。△3五歩▲4五桂馬に対して△3六歩と歩をのばしましたが、これは▲3五飛車が生じるため疑問だったようです(参考図2)。
 先手は▲3四歩から桂馬のさばきを狙いにきました。相手の攻めが怖かったため△4二歩と受けました。4筋に歩を打てなくなるのは痛いですが辛抱することを決断しました。▲3三歩成から桂馬を交換したあと、再度の桂馬打ち(図5)からの▲3四歩に対して△4一桂馬(図6)で相手の攻めが切れて少し良くなったかなと思いました。先手の歩切れがとても大きいです。
 図6から先手は歩損覚悟で▲3三歩成から精算し再度の桂馬打ちから▲3五飛車と暴れてきました。この▲3五飛車が見えておらず少し焦りましたが、△3一金(図7)とひいて桂馬が成られるのを甘受したあと△1三角(図8)と飛車取りにあてながら角を逃げることで切り返し手番を握ることに成功しました。このあとは△4六桂馬からカウンターを決めて勝つことができました。
 仕掛けが無理筋だったことは反省点ですが、うまく相手の攻撃を受けてカウンターをすることができたと思います。相手の方とは過去3戦全敗だったので勝つことができて嬉しかったです。自分の成長を実感できた一局でした。

2020年9月10日木曜日

将棋ウォーズ(相振り飛車:三間飛車+矢倉 vs 向かい飛車+金無双)

 将棋ウォーズの振り返りをしていきます。先手三間飛車 vs 後手向かい飛車の相振り飛車となりました。私が後手番です。先手は矢倉(片矢倉)、私は金無双を選択しました。


 先手に本矢倉に組み替えられると囲いの差が出てくると思い、金無双を完成させる前に△4五歩から積極的に仕掛けて一歩を手持ちにしました。その後またしばらく駒組みが続き、相手も飛車先の歩を切ってきました。飛車先の歩を交換したあと、2段目か4段目に引くと思ったら一つだけ引かれました。この一歩だけ引く手はいつも読みから抜けてしまいます。次に▲4五歩とされると駒損が確定してしまうため、後手が忙しくなりました。



 私は△1五歩と仕掛けていきました。本譜は先手同歩としましたが、手抜いて▲4五歩も考えられたと思います。その場合は△2六歩から角銀交換に持ち込もうと思っていました(参考図1)。角銀交換のあと飛車を引いた局面では、後手は駒損で攻めも続きそうにないので先手よしだと思っていました。しかし将棋ソフトによる検討だと後手が少し良いようです。1筋からの端攻めが残っているので後手の攻めはつながるということでしょうか。正直わかりません。有識者の方、ご教授ください。
 △1五歩から2筋の歩も突き捨てたあと、△2五歩と「合わせの歩」をうちました。先手同歩なら同飛車から飛車をさばく狙いです参考図2。この局面は銀取りの先手になっていて、△6九飛車などの厳しい攻めもあるため優勢だと思っていました。仮に▲2八銀と引かれたあと攻めがもたついても、角の効きによって歩で2五の桂馬を取りにいけないことも大きなポイントです。
 実戦では先手は同歩ではなく▲4五歩と角にはたらきかけてきました。ここで△2六角から角銀交換を行いました。駒損ですが、2筋に大きな拠点ができました。先手は△2七歩成は許せないので、▲2八歩と受けてきました。この局面、2筋の拠点が大きく駒損ながら後手よしと感じていました。しかしぐずぐずしていると駒損が響いて流れは先手にいってしまいます。なんとか攻めを継続しなければなりませんが、その手段がわかりませんでした。最初に△2七銀と叩きこむ手を考えました。しかし、▲4九玉と逃げられると飛車先が重く、攻めが遅い気がしてやめました(将棋ソフトの検討によると、これでもよかったようです。先手からの早い攻めがないため、重く遅い攻めでもOKということでしょうか。)。

 本譜は△2五飛車と浮き、△4五銀から飛車と銀のさばきを狙いましたが、これは悪手でした。▲6五歩がぴったりで、さばきを防ぎつつ3三の桂馬取りになっていてこれで困ってしまいました。本譜はここから形勢が先手に傾いていきました。
 ▲2八歩と受けられた場面では△1八歩がありました参考図3。これが1筋の歩の突き捨てをいかした好手で、同香に対してそこで△2七銀とすれば▲4九玉のときに△1八銀成があります。△1八歩に対して▲6五歩が気になりますが、△1九歩成▲3三角成にじっと△1二飛車としておけば後手優勢のようです。後手には△2九とや△3一香などの楽しみがあります。攻めを継続する歩の叩き、とても勉強になりました。今後は使えるようにしたいです。


丹沢山を登る

 先日神奈川県にある丹沢山に登りました.丹沢山地は東京からのアクセスがよいのが魅力的ですね.今回はオーソドックスに大倉から塔ノ岳を経由するルートを選びました.大倉までは 小田急電鉄小田原線の 渋沢駅からバスで15分程度です.小田急電鉄に乗っていると動きやすい服装で大きめのリュック...