2020年11月23日月曜日

丹沢山を登る

 先日神奈川県にある丹沢山に登りました.丹沢山地は東京からのアクセスがよいのが魅力的ですね.今回はオーソドックスに大倉から塔ノ岳を経由するルートを選びました.大倉までは小田急電鉄小田原線の渋沢駅からバスで15分程度です.小田急電鉄に乗っていると動きやすい服装で大きめのリュックを持った方が停車するたびに乗ってきました.まさかと思いましたがそのまさかで渋沢駅で一斉に下車しバス停には長蛇の列ができていました.3連休とはいえあまりの人の多さにびっくりしました.バス待ちで登山口到着が遅れることも覚悟しましたが,臨時便が出ていたこともあり予定通り到着することができました.バス停から15分程歩いて登山口にたどり着きました.時刻は午前8時.いざ出発です.

 入山後は比較的ゆるやかな道が続きます.樹木の背が高く,薄暗い空間を突き進むことになります.30~40分ほど歩くと分岐点に差し掛かりました.ほとんどの人は右側を選択していましたが,横にある大観望の文字に惹かれて左に行くことを選択しました.人があまり通らないからか落ち葉が少し多いのは気になりましたが,特に危険な場所や注意すべき箇所はなかったように思えます.また地図を見る限り大幅に遠回りということもなさそうです.

 大観望からは相模湾方面を一望することができました.天気がよければ房総半島や三宅島も見えるようです.時間と体力に余裕があれば少しだけ遠回りして立ち寄ることをおすすめします.人も少ないのでゆっくり景色を堪能することができます.大観望からキャンプ場を経由して再び本線と合流します.キャンプ場にたくさんテントが張ってあって驚きました.11月下旬でのキャンプ泊はなかなかに寒そうです.

 大観望からは少しだけ急なところもありましたが,基本的には緩やかな山道が続きます.登山口から2時間15分,花立山荘に到着しました.花立山荘ではうどんや豚汁など軽食を食べることができます.花立山荘まで売店や山荘が一箇所ずつあり,休憩スポットも充実しています.土日に登るならば,体力に自信のない方は荷物を軽くするためにたくさんの水分を持ち歩かずに山荘で水分をその都度購入していくという戦術もありかもしれません.

 花立山荘はとても見晴らしがよく伊豆半島まではっきり見ることができました.天気がよければ富士山も見えるそうです.大観望のときより少し雲が厚くなってきたな,と思いながらいよいよ塔ヶ岳へと向かいます.
 登山口から3時間,塔ヶ岳に到着しました.雲が出てきたせいか花立山荘からぐっと気温が低下したように感じました.風もすごく強かったです.身体も冷えてきたので休憩もそこそこに丹沢山に向かおうとして衝撃を受けました.看板には丹沢山まで2.6kmと書いてあるではありませんか.丹沢山と塔ヶ岳は標高差100m程度しかありません.私は勝手にもう数百m,長くて1km程度歩くだけと早合点していました.塔ヶ岳までたどり着けば丹沢山はボーナスステージのようなものだ,と.しかし塔ヶ岳到着時点では目標の丹沢山までまだ4分の3程度まで進んだに過ぎなかったのです.
塔ヶ岳から丹沢山の間もよく道が整備されていました.道の材料をどこから持ってきたのかわかりませんが,よく作ったなあと思います.菊池寛さんの「恩讐の彼方に」を思い出しながら進むと,いよいよ天候が悪化してきました.強烈な風を受けて雲が山をなめるように上っていきます.地理の授業で習った湿った空気が山にあたって雲になる,というのがわかった気がしました.
 山頂から3時間45分,丹沢山に登頂することができました.山頂は一面真っ白で気温はとても低く,写真だけ撮ってそそくさと離れてしまいました.天候の良い日を狙ってもう一度訪れたいなと思います.
 丹沢山から塔ヶ岳に戻る途中に疲労からかふくらはぎと太ももの裏に張りを感じ始め,最後の方は膝が笑ってしまい大変でした.中高年の方に次から次へと抜かされてしまい悔しかったです.日頃の運動不足を痛感しました.途中何度も休憩をはさみながら午後3時30分,無事バス停に戻ることができました.バス停に着いたときには疲労困憊,バスを立って待っているのも辛いぐらいでした.そしてこのブログを書いている現在,激しい筋肉痛に襲われています...
 私は丹沢山まで往復7時間30分でしたが,これは比較的早いようで目安としては8時間半のようです.今の時期は日没が早いため,丹沢山まで日帰りで往復を目指す方は少しでも早く登り始めることをおすすめいたします.このブログを見て丹沢山に行こうと思われる方が増えたら幸いです.

2020年11月21日土曜日

イトーキの業績分析

   日経平均がとても上がってきていますね.つい先日26,000円を突破しました.これはバブル後の1991年以来だそうです.株価が上昇したことで予算の少ない人には買いにくくなってきました.しかし,まだまだ安く買いやすい株もあります.そのひとつが事務用品・各種設備を扱うイトーキです.一般消費者向けの商品としてはオフィスチェアがあげられます.イトーキの株価は2020年11月19日の終値が330円です.単元株式は100なので33,000円から投資することができます.配当は13円であり,利回り約4%と高いのも魅力的です.それではイトーキの分析をしていきましょう.まずは株価です.

                                            イトーキの株価の推移

                           TradingViewを用いて作成)

   株価は2017年終わり頃900円程度でしたが,そこからずるずると下がってきています.2019年8月ごろから回復基調にあったものの,新型コロナウイルスの流行を契機にずどんと下落し今なおその状態が続いています.なぜ2017年頃からイトーキの株価は下がっているのでしょうか.決算書や有価証券取引所などを参考に考察していきたいと思います.

<売上高と純利益>
 まずは売上高と純利益です.下にイトーキの売上高と純利益の推移を示します.なお2020年度の値は会社発表の予測値を用いています.売上高に関しては今年度こそ新型コロナウイルスの影響のため前年比4.2%減となっていますが,2011年度以降2019年度まで比較的順調に上昇していたことがわかります.一方,純利益は売上高が順調に上昇しているにも関わらず2015年度をピークに大きく減少しています.自己資本利益率(ROE)は一桁%台であり,売上が上がっているものの利益が伸びていないのが株価低迷の原因だと考えられます.では,なぜイトーキの純利益は減少しているのでしょうか.



イトーキの売上高と純利益の推移

<販売費および一般管理費の増大>
 下に売上総利益と販売費および一般管理費と推移を示します.売上総利益は売上高の上昇と連動して順調に伸びているように見えます.売上原価が増大したということはなさそうです.気になるのが2016年度以降の急激な販売費および一般管理費の増大です.売上総利益の増大を大きく上回るペースで増えています.これが純利益の減少の大きな理由と言えそうです.



販売費および一般管理費の内訳は?

 2017年度の決算説明会の資料によると物流費や人件費の増加を販売管理費の増加の原因として挙げています.有価証券報告書によると2019年度の販売費および一般管理費は407.76億円です.そのうち従業員の給与や賞与が約170億円で,2016年度の約150億円と比べて20億円増加しています.従業員の給与と研究開発費以外の販売管理費の残り200億円に関しては内訳の記載がありませんが,ここに物流費やオフィスの賃料などが含まれており,物流費の増加によって販管費が増大している可能性があります.また,2018年秋に東京の日本橋に新本社オフィスを設置していますが,これによって賃料が増加している可能性もあります.

<まとめ>
 今回はイトーキの業績分析を行いました.売上高は増加しているものの販売費および一般管理費の増大によって利益率が減少しているため株価が低迷していることがわかりました.新型コロナウイルスの流行によりテレワークを採用する企業が増え今後の業績は不透明ですが,2020年度の売上高予想を見る限りは劇的に減少するわけではなさそうです.販売管理費をうまく抑制すれば増益となり株価上昇の可能性もあるのではと感じました.今後に注目していきたいと思います.

2020年9月19日土曜日

理想と現実の狭間を突き進む ー大原孫三郎について

 先日、倉敷に行ってきました。

倉敷にある大原美術館において城山三郎さんの作品が販売されていたので買いました。大原孫三郎を扱った「わしの眼は十年先が見える」です。
 大原孫三郎は、大地主であり倉敷紡績(クラボウ)の設立者である孝四郎の息子として生まれました。少年・青年期の孫三郎は「バカ息子」という言葉がぴったりです。勉学のため上京したものの、孫三郎は1万5千円(現在の金額で1億円)もの借金を抱えてしまい、倉敷に連れ戻されてしまいます。後年、孫三郎は社会事業にお金を大量に注ぎ込みますが、お金の使い方が大胆なのは若い頃からのようです。孫三郎は父の跡を引き継ぐと、経営者としての手腕を発揮します。倉敷紡績を発展させるだけでなく、倉敷絹織(クラレ)や中国水力電気会社(現在の中国電力)を設立します。また、小さな銀行を合併させて中国合同銀行(現在の中国銀行)を作り、その頭取となります。まさに岡山・倉敷の経済界の中心人物だったと言えるでしょう。しかし、孫三郎は経営者としてよりも、社会や文化への貢献が有名です。倉敷紡績の女工の待遇の大幅な改善。孤児院を設立し、孤児や貧困にあえぐ子供を救おうと奮闘する石井十次への莫大な資金の支援。農業研究所・社会問題研究所・労働科学研究所の3つの科学研究所の設立。倉敷紡績の社員だけでなく、一般市民も利用可能な病院の設立、そして大原美術館の開館など、孫三郎の社会貢献は列挙するとキリがありません。孫三郎は、経営者としての会社の利益という「現実」とよりよい社会にするという「理想」、この狭間を突き進んでいった人間といえるでしょう。
 なぜ孫三郎は経営者として利益を追求するだけでなく、社会貢献にも力を注いだのでしょうか。筆者である城山さんはその理由を彼の少年・青年期に求めています。少年時代の孫三郎は大地主の息子ということで嫉妬や羨望の対象でした。当時は今よりもより身分による区別が色濃く残っていたというのもあるでしょう。孫三郎には心からの友人が少なかったようです。また、東京遊学中にあれほどおごってあげた友人たちは孫三郎が倉敷に戻るとパタリと音信が途絶えたのでした。このような経験から彼は「本当の友人」や「仲間」を切望していました。そのため、女工さんや小作人と「資本家」と「労働者」して付き合うのではなく、対等な仲間でありたいと考えていたと思います。また。石井十次や画家の児島虎次郎といった孫三郎が理想に共感した人物には協力を惜しみませんでした。作中では、主人公の孫三郎と理想に燃える石井や児島、そしてもう一人、おそらく作者の創作であると思われる砂田の存在が興味深いです。砂田は孫三郎と同じ資産家の息子であり、早く跡継ぎを作り自身は一日でも早く楽隠居になることを目指している人間として登場します。石井や児島と砂田。これらの人物との対比によって、孫三郎がもがき揺れ動きながらも、その間を懸命に進んでいく姿がはっきり浮かび上がってきます。このあたりの人物の描き方はさすがだなと思います。ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
 大原孫三郎について、興味を持ったのでもう一冊読みました。それが、兼田麗子著「「大原孫三郎ー善意と戦略の経営者」です。彼女はこの作品以外にも複数の大原孫三郎についての作品を書いており、まさに大原孫三郎の専門家と言えるでしょう。同時代の代表的な資本家である渋沢栄一と武藤山治との比較はとても興味深いです。こちらの本もおすすめです。



2020年9月17日木曜日

「沈黙」の創作秘話

 遠藤周作さんの作品のなかで最も有名と思われる名作「沈黙」。この沈黙の創作秘話や文学と宗教の関係についての講演録をまとめたのが「人生の踏み絵」です。一番面白かったのは,「沈黙」の創作秘話について語られている「人生にも踏絵があるのだから ー『沈黙』が出来るまで」です。以下の文章が印象に残りました。

戦後の人たちも今の人たちもでも,やっぱり多かれ少なかれ,人生の踏絵というものを持って生きてきたはずです.われわれ人間は自分の踏絵を踏んでいかないと生きていけない場合があるんです. 

 今の日本人は理想や憧れの生き方を政治や社会情勢のために押し殺して生きていかないといけない、ということは殆ど無いでしょう。ただ、現代日本人も「自分の踏絵」を持って生きているというのは賛同できるのではないでしょうか。
 ここで「踏絵」というのは、ただの「挫折」とは異なります。「踏絵」を踏まないとキリシタンと認定され、踏まなかった本人だけではなく家族まで罰せられる可能性があります。少なくとも周りの非キリシタンから家族は白い目で見られるでしょう。「踏絵」を踏まずに信念を貫くという行為は、他人を傷つける恐れがあるのです。「踏絵」を踏んでしまう人は弱い人間かもしれませんが、同時に周囲を傷つけたくない人ということができます。おそらく私は目の前に踏絵を差し出されたら踏んでしまう弱い、平凡な人間でしょう。「沈黙」はそんな弱い私のような人間にフォーカスして描かれた小説なのだ、と思うと「沈黙」をもう一度読み返したくなりました。
 また、主に西洋のキリスト教文学について語った「文学と宗教の谷間から」もとてもおもしろかったです。特にモーリアック「テレーズ・デスケルウ」についての文章がとても印象に残っています。遠藤さんは、この小説のおもしろさを人間の混沌とした心理を描いたことであり、ある行動をした心理を一つの心理で片付けていないことだとしています。そして、遠藤さんは小説「海と毒薬」はこの作品の影響を受けたものだと語っています。確かに読み返してみると、作品の冒頭で戦後の勝呂が独り言のようにつぶやいた言葉などには「テレーズ・デスケルウ」の影響を感じることができます。
 この本を読むことによって、「沈黙」などの名作をより理解できるとともに、小説の裏にある遠藤さんの人生観や人間観が少しわかる気がしてとてもおもしろかったです。遠藤作品をよりおいしく味わうためのスパイスのような存在でありながら、ひとつの料理としても十分に味わえる、そんな一冊です。

2020年9月16日水曜日

将棋の振り返り(向かい飛車 vs 飯島流引き角戦法)

 将棋の振り返りをしていきます。今回は対飯島流引き角戦法です。飯島流引き角戦法は飯島栄治七段(段位は2020年9月現在)が編み出した戦法で、飯島七段はこの戦法で升田幸三賞を受賞されています。私は大学生になって将棋熱が再燃し現在に至っていますが、私の将棋熱に火をつけた友人のエース戦法がこの飯島流引き角戦法でした。角道を開けてくれないので私の得意な△3三角型角交換四間飛車が使えないため、最も苦手意識のある戦法かもしれません。それでは棋譜を振り返っていきましょう。私が先手番です。
 得意の角交換四間飛車に持ち込もうと角道を開けたまま駒組みを進めました。なかなか相手が角道開けてこないなと思っていたら△5三角でようやく飯島流引き角戦法だと気づきました。久しくやられていなかったので気づくのが遅れてしまいました。とりあえず向かい飛車に振り直して25手目で▲5五歩と仕掛けていきました。相手の右銀が前にくる前に一歩持っておこうという魂胆です。

 相手の銀が進出してくると相手の攻めが当たってきそうで少し怖かったですが、左桂が活用しやすいように角は6六に引きました(図3)。その後お互い攻めの銀を4段目まで進出させて、4筋の歩をつきあったのが図4です。▲4六歩に対しては△8五歩としてくるかなと思っていました。△4四歩も普通の一手ですが、▲4五歩から仕掛けることができるようになったので少しありがたく感じました。


 図4から思い切って飛車を4筋に転回し△7三桂に対して▲4五歩といきました。実戦では△同歩同銀と進行しましたが、▲4五歩に対して△8五歩から△8六歩の攻めのほうが厳しく、これは無理筋だったようです(参考図1)。参考図1から▲8六同歩△同飛▲7七桂△8九飛成▲5八金と進んだのが参考図2です。これは龍ができて後手よしです。ただし、ここで△9九龍と香車を取っていると▲6五桂の反撃があります。参考図2の場面は少しだけ後手がいい、という程度でまだまだ難解な局面のようです。


 図4から4筋の歩を交換したあと後手は△5五銀と指してきました(図5)。ここでおとなしく▲8八角とするか▲5四銀と激しくいくかでとても迷いました。悩みに悩んでここまで積極的にきたのだからと▲5四銀といきました。検討の結果、どちらでもよかったようです。図5から▲5四銀△6六銀▲同歩△3五角▲5三歩△同金▲同歩成△同角と進んで図6です。角金交換で後手駒得ですが、手番を握っていることとこちらの方が飛車がよくはたらいていることから少しだけいいんじゃないかなと思っていました。


 図6から激しい攻め合いになって図7です。▲5三歩成に対して後手が△7九飛としてきたところです。王様の囲いは先手のほうが固く、こちらが手番ということでかなり優勢になったと思っていました。しかし効果的な攻め方がわかりませんでした。図7から▲4三歩△同歩▲4二金△同金▲同と△同飛▲5三角と精算して飛車を取りに行きましたが△3一金(図8)とがっちり受けられると攻めが続きません。「3枚の攻めは切れる」といいますが、まさにその通りですね。これで再び互角に戻ってしまいました。


 図7から▲4三歩△同歩のあと▲4二金に代えて▲5二銀(参考図3)だと次の▲4三とが厳しく優勢だったようです。△3四銀と受けられても露骨に▲4二金(参考図4)としておけば攻めが途切れずに有利です。実戦では図8から攻めが途切れてしまい、そこから泥沼の戦いになっていきました。的確な攻めができるように頑張りたいと思います。

嬉野流 vs 向かい飛車△3二金型

2020年9月15日火曜日

【AtCoder解説】動的計画法を使わずにABC178のD - Redistributionを解いてみる

 久しぶりにAtCoderに参加しました。D問題の公式解説が動的計画法を使っていて難しかったので、自分なりの解法をメモしておきたいと思います。用いるのは高校で習う数学Aの知識です。まずは問題文のおさらいです。 

問題文:整数 S が与えられます。 すべての項が 3 以上の整数で、その総和が S であるような数列がいくつあるか求めてください。ただし、答えは非常に大きくなる可能性があるので、 109+7 で割った余りを出力してください。

制約 :1 S 2000, 入力はすべて整数

 例として、 S = 11 のときを考えてみましょう。まず数列の最大の項数を考えます。すべての項が3以上という条件から11 ÷ 3 = 3 ・・・ 2 で最大の項数は3であることがわかります。それでは項数が3のとき、S = 11となる数列はいくつ存在するでしょうか。ここでは、玉と箱を用いて考えます。今回はS = 11かつ項数3なので玉を11個、箱を3つ用意しました。箱の中に入っている玉の数が数列の各項に対応します。まず箱には少なくとも3つの玉が入っている必要があるので、あらかじめ3つずつ玉を入れておきます。すると、残った2つの玉を3つの箱に振り分ける方法は何通りあるか、という問題に帰着します。たとえば前2つの箱に1個ずつ入れると、これは数列{4, 4, 3}に対応しています。数列{4, 4, 3}は確かにS = 11かつ項数3の数列ですね。



 さて、このような振り分け方は何通りあるでしょうか。これを求めるのが「重複組み合わせ」です。残り2つの玉の3つの箱への分け方は、2つの玉と2つの仕切りの並べ方と対応します。この場合は6通りあることがわかります。あとはこれを箱が1つのとき、2つのときの場合の箱への入れ方も計算して、すべてを足せばいいわけです。


解法をまとめます。
  1. 入力Sに対して最大の箱の数を求める。
  2. 最大の箱の数をXとする。箱の数が1からXのときそれぞれに対して以下の計算を行う。
    ・あらかじめ箱に入れておく玉を入力Sからひく。
    ・残りの玉の箱への入れ方が何通りあるか求める。
  3. 箱の数が1のときからXのときまでの残りの玉の箱への入れ方を合計する。答えを109+7 で割る。
 Pythonでの解答例を示します。今回は階乗の計算にライブラリ「math」の「factorial」wを使いました。階乗の計算ではオーバーフローに注意してください。// のところを / とするとfloat型の計算となりオーバーフローします。また、(factorial(ball) * factorial(box - 1)) を factorial(ball) // factorial(box - 1) とするのもオーバーフローの可能性があるようです。
from math import factorial
 
S = int(input())
 
ans = 0
for i in range(S // 3):
    box = i + 1  # 箱の数
    ball = S - 3 * box # あらかじめ箱に3こずつ入れたあとの残りの玉の数
   
    # 箱への入れ方が何通りあるか計算。
    # 仕切りの数は box - 1 であることに注意
    ans_ = factorial(ball + box - 1) // (factorial(ball) * factorial(box - 1))
    ans += ans_
print(ans % (10 ** 9 + 7))
 
 久しぶりのAtCoder、とても楽しかったです。次も頑張りたいなと思います。

2020年9月14日月曜日

名和長年公の戦没遺跡

 京都市内を当てもなくぶらぶらしていると、なにやら大きいモニュメントが。近づいてみると、名和長年公の戦没遺跡でした。名和長年は南北朝時代の武将です。「名和長年」という名前を久しぶりに見ました。そしてたちまち小学校時代にタイムスリップして懐かしい気持ちになりました。
 私は小学生のとき歴史に強い興味を持ちました。荒俣宏さんの「21世紀こども人物館」を隅から隅まで読みました。今でもこの本は家にあるのですが、手垢で真っ黒です。歴史のなかでも男の子らしく(?)戦いのある時代が好きでした。一番好きなのが戦国時代で、その次に好きだったのが名和長年が活躍した鎌倉時代末期から室町幕府成立までの時代でした。この時代に興味を持ったきっかけが「太平記」です。ただし「太平記」といっても、小学生でもわかるように平易な文章に書き直したものだったと思います。名和長年は隠岐から脱出した後醍醐天皇と合流し、鎌倉幕府を滅ぼす原動力となりました。その後、後醍醐天皇の政治(建武の新政)では役人を務め、足利尊氏が後醍醐天皇のもとを離れると楠木正成や新田義貞と協力して尊氏と戦いますが、1336年にこの地で討ち死にしたようです。
 「平家物語」では平氏は政権奪取後おごりたかぶっていた存在として描かれているので、源氏にやられてもしょうがないかなと思っていました。しかし、「太平記」において後醍醐天皇とその周りの公家はともかく、名和長年ら政権側の武将たちは隆盛を誇るような記述はなく役人として忠実に働いていたイメージです(小学生の頃の記憶なので間違っているかもしれません)。尊氏の勢力が徐々に強大になっていくのを感じて南朝方の武将を応援しながら「太平記」を読んでいましたが、私の応援むなしく名和長年や新田義貞、楠木正成は敗戦し死んでいくことになります。それらの場面では子供ながら非常にもの悲しい気持ちになったことを記念碑を見てしみじみと思い出しました。
 「太平記」、もう一度読んでみようかな。


2020年9月13日日曜日

将棋の振り返り(嬉野流 vs 向かい飛車△3二金型)

  将棋の振り返りをしていきたいと思います。今回は対嬉野流です。嬉野流は奇襲戦法の一種という認識でしたが、アマチュア間ではすっかり市民権を得ましたね。プロ棋士の採用はほとんどありませんが、最近牧野光則五段が王将戦予選、対西川六段戦で使っています。
 私は嬉野流に対しては△3二金型(今回は先手なので▲7八金)の向かい飛車で対抗するようにしています。△3二金型の向かい飛車にしておけば少なくとも作戦負けをすることはないというイメージです。では振り返りをしていきましょう。
 ほとんど定跡通りの進行から▲6五歩と突いて銀を退却させたあと(図1)、手が広く迷いました。本譜は「位を取ったら位の確保」で▲6六銀を選択しました(図2)。ほかにも▲5七角や▲4六歩、銀冠を目指す▲2六歩などが候補にありました。どの手を選択しても一局だったようです。

図2から飛車を5筋に振り直し揺さぶりをかけていきました。後手が△5二飛車としてきたのを見て元気よく▲8五桂と跳ね出しました(図3)。銀当たりになっているうえに一歩得をして先手十分です。ただし、そのあとの△7五歩を手拍子で同歩と取ってしまったのが失敗でした。8筋に追いやった銀をさばかせてしまい、こちらの桂馬が遊んでしまっています。また後手が同角としたとき次に△4八銀があるのが痛かったです(図4)。△7五歩に対して▲6七金と金を進出させておいて▲7九飛としておけば先手が優勢だったようです(参考図1)。

 図4からずるずると後手ペースになっていきました。図5ではすでに後手勝勢です。手番を握っていて駒得しています。こちらとしては7八の金が遊んでいるのも痛いですね。図5では△8四角から△4八銀を狙う手や△5八歩△5七歩と叩いておいて△1七角成!で飛車を抜く手などよりどりみどりな局面です。
 図5から後手からの厳しい攻めが続きましたが、勝負手として放った▲6四歩が実って徐々に追い上げることができました。図6の場面ではほぼ互角に戻ったなという認識でした。手が見えなかったため▲5四歩(図6)から▲5三歩と垂らしましたが、これは攻めが遅かったです。図6では▲5四歩ではなく▲7三歩がよかったようです。△7一歩と受けてくれれば後手歩切れとなりますし、△7五飛車には▲6八金から底歩で受けておけば、▲7二歩成を楽しみにすることができます。▲5三歩に対して逆襲を喰らい、参考図2では角と龍に睨まれて先手玉は風前の灯火といって感じです。ここで▲6九歩が将棋ソフト推奨の参考となる一手です。龍の効きをそらすことで攻めを遅らせることができます。歩をもっと上手に使えるようになりたいです。
 図6から粘っているうちに相手の王様にもあやがついてきて図7の場面では後手玉に詰みが生じています。3二の地点で精算してから11手詰めです(参考図8)。精算して詰みそうな気がしたのでよく考えたのですが詰み筋を発見できませんでした。あきらめて図7から▲2八玉と早逃げしたのですが、二度とチャンスは来ずに負けてしましました。

 参考図8では▲2四桂△同玉としてから▲4一角とすればあとは比較的簡単な並べ詰みでした。歩頭に桂馬を捨てる手が見えませんでした・・・。自分の終盤力のなさを実感した対局となりました。詰め将棋や必死問題をしっかり解いて終盤力の強化に努めます。

2020年9月12日土曜日

双ヶ丘から仁和寺を眺める

 先日仁和寺に行ってきました。仁和寺は去年の秋に将棋の竜王戦が行われてからずっと行きたいと思っていた場所でした。御殿に入ると竜王戦で使われた将棋盤や対局者の揮毫した扇子などの展示がありました。一将棋ファンとしてとても嬉しくなりました。残念ながらポスターが反射して上手に撮れていませんが・・・。

 御殿から眺める庭園は強烈な日差しを浴びて緑、青、白のコントラストが見事でした。仁和寺と言えば春の御室桜が有名ですが、夏に訪問するのもいいと思います。近代的な建物は見えず、市内の喧噪も聞こえないため平安時代にタイムスリップしたかのような気持ちになることができました。また仁和寺を訪問された際は是非霊宝館にも訪れていただきたいです。虫眼鏡がないと読めないほど細かい文字で紙面にびっしりと書き込まれたお経や豊富なイラストが描かれている百科事典(?)のような書物など、仏像やお経に詳しくない私でも視覚的にとても楽しむことができました。
 仁和寺の訪問後、まだ少し時間があったので双ヶ丘(ならびがおか)に行ってみることにしました。双ヶ丘は徒然草の作者である兼好法師が晩年を過ごした地とされています。双ヶ丘の東側には兼好法師の家があったことを示す石碑がたっています。双ヶ丘には一の丘から三の丘まであります。一の丘からは仁和寺と太秦方面の景色を眺めることができます。二の丘は京都タワー方面の景色が素晴らしいです。一の丘と二の丘の間にある「とおみのひろば」からは比叡山や大文字山まで見ることができるそうですが、この日はもやがかかっていて見ることができませんでした。毎日犬の散歩がてら一の丘に登っているおじさんによると、新型コロナウイルスが流行する前はよく外国人旅行者の方がいらっしゃっていたようです。そして、景色を眺めながらいつまでもゆっくりと会話しながら楽しんでいたそうです。

「それが旅行ってもんだよな」

 おじさんの言葉が心に刺さりました。もし私が外国からきた旅行者だったらついつい金閣寺や清水寺など有名な観光スポットをできる限り多く巡ることばかり考えてしまいそうです。しかし、観光スポットとしては見向きもされないようなこの場所で会話を楽しみながらゆったりと過ごす。なんて素敵な時間の使い方だろうと思いました。まもなく京都を離れる私はさながら旅行者のような存在です。京都で過ごす残りわずかな日々を存分に楽しもうと思いました。
 双ヶ丘、京都通の方でも足を運んだことがある人はなかなかいないのではないでしょうか。是非是非行ってみてください。

2020年9月11日金曜日

将棋の振り返り(角交換四間飛車△3三角型 vs エルモ囲い)

 古森先生の「角交換四間飛車の新常識 最強△3三角型」を読んでから、△3三角型の角交換四間飛車が私のエース戦法となりました。今回は△3三角型の角交換四間飛車に対して居飛車が角を交換せずエルモ囲いに組んだ将棋の振り返りをします。△3三角型の角交換四間飛車(図1)に対して先手が▲4六歩からエルモ囲い+4八金2八飛車の形を作ってきました。私は飛車を2筋に振り直し、△3二金型向かい飛車にしました(図2)。図2の局面から△4二角、△3三桂馬、△2一飛車とできれば向かい飛車の理想型だと思いますが△4二角に対して▲4五歩とされる変化が怖かったためあきらめました(将棋ソフトによる検討だと▲4五歩△同歩▲8八角成△同金で互角のようです。しかし金がそっぽに行くので人間的にはやりにくいですよね。角を持っても先手陣には角を打つ隙がないのもつらいです)。

 本譜は図2から△2四歩と仕掛けていきましたが、これは無理筋だったようです。▲同歩△同角▲4五歩に△3三角(図3)から飛車交換をして▲4四歩にじっと△5二銀と引きました。この局面は4筋に拠点を作られたものの手順に王様を固めることができ、△2八飛車からの攻めもあるため互角かなと思っていました。しかし実際は▲2三歩で先手優勢だったようです(参考図1)。▲2三歩に対して△3一角は▲4三歩成から▲1一角成があります。△同金には▲4二飛車が厳しいです。

実戦では▲3五歩から戦線拡大を目指してきましたが、これがやや甘かったようです。私は△2八飛車から反撃を開始します。▲3八銀に対して△3五歩と取り込みました(図4)。△3五歩に代えて△4七歩も有力です。実戦では△4七歩を打つべきかとても考えました。最終的に▲4九金とされると攻めが続かず、次に▲2七歩のふた歩から▲3九金が見えたためやめました。△3五歩▲4五桂馬に対して△3六歩と歩をのばしましたが、これは▲3五飛車が生じるため疑問だったようです(参考図2)。
 先手は▲3四歩から桂馬のさばきを狙いにきました。相手の攻めが怖かったため△4二歩と受けました。4筋に歩を打てなくなるのは痛いですが辛抱することを決断しました。▲3三歩成から桂馬を交換したあと、再度の桂馬打ち(図5)からの▲3四歩に対して△4一桂馬(図6)で相手の攻めが切れて少し良くなったかなと思いました。先手の歩切れがとても大きいです。
 図6から先手は歩損覚悟で▲3三歩成から精算し再度の桂馬打ちから▲3五飛車と暴れてきました。この▲3五飛車が見えておらず少し焦りましたが、△3一金(図7)とひいて桂馬が成られるのを甘受したあと△1三角(図8)と飛車取りにあてながら角を逃げることで切り返し手番を握ることに成功しました。このあとは△4六桂馬からカウンターを決めて勝つことができました。
 仕掛けが無理筋だったことは反省点ですが、うまく相手の攻撃を受けてカウンターをすることができたと思います。相手の方とは過去3戦全敗だったので勝つことができて嬉しかったです。自分の成長を実感できた一局でした。

2020年9月10日木曜日

将棋ウォーズ(相振り飛車:三間飛車+矢倉 vs 向かい飛車+金無双)

 将棋ウォーズの振り返りをしていきます。先手三間飛車 vs 後手向かい飛車の相振り飛車となりました。私が後手番です。先手は矢倉(片矢倉)、私は金無双を選択しました。


 先手に本矢倉に組み替えられると囲いの差が出てくると思い、金無双を完成させる前に△4五歩から積極的に仕掛けて一歩を手持ちにしました。その後またしばらく駒組みが続き、相手も飛車先の歩を切ってきました。飛車先の歩を交換したあと、2段目か4段目に引くと思ったら一つだけ引かれました。この一歩だけ引く手はいつも読みから抜けてしまいます。次に▲4五歩とされると駒損が確定してしまうため、後手が忙しくなりました。



 私は△1五歩と仕掛けていきました。本譜は先手同歩としましたが、手抜いて▲4五歩も考えられたと思います。その場合は△2六歩から角銀交換に持ち込もうと思っていました(参考図1)。角銀交換のあと飛車を引いた局面では、後手は駒損で攻めも続きそうにないので先手よしだと思っていました。しかし将棋ソフトによる検討だと後手が少し良いようです。1筋からの端攻めが残っているので後手の攻めはつながるということでしょうか。正直わかりません。有識者の方、ご教授ください。
 △1五歩から2筋の歩も突き捨てたあと、△2五歩と「合わせの歩」をうちました。先手同歩なら同飛車から飛車をさばく狙いです参考図2。この局面は銀取りの先手になっていて、△6九飛車などの厳しい攻めもあるため優勢だと思っていました。仮に▲2八銀と引かれたあと攻めがもたついても、角の効きによって歩で2五の桂馬を取りにいけないことも大きなポイントです。
 実戦では先手は同歩ではなく▲4五歩と角にはたらきかけてきました。ここで△2六角から角銀交換を行いました。駒損ですが、2筋に大きな拠点ができました。先手は△2七歩成は許せないので、▲2八歩と受けてきました。この局面、2筋の拠点が大きく駒損ながら後手よしと感じていました。しかしぐずぐずしていると駒損が響いて流れは先手にいってしまいます。なんとか攻めを継続しなければなりませんが、その手段がわかりませんでした。最初に△2七銀と叩きこむ手を考えました。しかし、▲4九玉と逃げられると飛車先が重く、攻めが遅い気がしてやめました(将棋ソフトの検討によると、これでもよかったようです。先手からの早い攻めがないため、重く遅い攻めでもOKということでしょうか。)。

 本譜は△2五飛車と浮き、△4五銀から飛車と銀のさばきを狙いましたが、これは悪手でした。▲6五歩がぴったりで、さばきを防ぎつつ3三の桂馬取りになっていてこれで困ってしまいました。本譜はここから形勢が先手に傾いていきました。
 ▲2八歩と受けられた場面では△1八歩がありました参考図3。これが1筋の歩の突き捨てをいかした好手で、同香に対してそこで△2七銀とすれば▲4九玉のときに△1八銀成があります。△1八歩に対して▲6五歩が気になりますが、△1九歩成▲3三角成にじっと△1二飛車としておけば後手優勢のようです。後手には△2九とや△3一香などの楽しみがあります。攻めを継続する歩の叩き、とても勉強になりました。今後は使えるようにしたいです。


2020年8月12日水曜日

経済と人間の関係について

 最近読んだジョージ・ソロスの本が面白かったので紹介したいと思います.10年ほど前に発表された「ソロスは警告する」という本です.

ジョージ・ソロス,「ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ」,講談社,2008年

 ソロスの主張は,「市場のさまざまな変数(価格など)は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という現在主流の経済学(新古典派経済学)の考え方は偽りであるということです.これは現在主流の経済学では人間は常に合理的な判断をする(ホモ・エコノミクス)と仮定されていますが,実際は必ずしもそうではないからです.ソロスは,人間はホモ・エコノミクスであるという仮定では排除されている,人間の未来への期待やに基づく現実との誤差(バイアス)や現実の理解不足を考慮すべきと主張します.ソロスが投資家としてこれほどの成功を収めたのは,難解な金融工学を駆使したからではありません.彼が「人間理解の名人」だったからです.金融市場の動きを見て,他の投資家がどう動くかを把握する達人です.そして,現実と一般の投資家の現実理解との誤差が大きくなったところで自らの信念に従って投資を行い,市場を出し抜き巨万の富を得ました.
   さて,市場価格などは均衡値に向かって収束するという考え方に対して,経済学者の立場から批判している方がいます.私の一番好きな作家である城山三郎さんの恩師である,山田雄三教授です.

城山三郎,「花失せては面白からず 山田教授の生き方・考え方」,角川文庫,1999年
 山田教授は作中で経済的自由主義を批判するとともに,自由と個人利害とを結びつけて現実に調和する自由を主張しています.人間はホモ・エコノミクスとして完全に合理的に行動するわけではない.人間の様々な価値観や意見を考慮すべきである,と. 
 ジョージ・ソロス,山田雄三教授はともに現実をありのままに直視することの重要性を説いています.そのためには深い人間理解が必要でしょう.山田教授が私家版として「謡曲に見る人間研究」という本を出されていることはその証左でしょう.また,近年では行動経済学や実験経済学といった人間はホモ・エコノミクスではないとする経済学も徐々に発展しているようです.これらの新しい経済学を勉強してみたいと思います.そして,人間についてもっと深く理解できたらいいなと思います.

2020年8月11日火曜日

日本最大の自動車メーカーの未来はどうなる?

 本屋さんで見かけて興味を持ち購入しました.梶山三郎著「トヨトミの逆襲」です.愛知県のあの企業がモチーフなのかなと予想を立てながら本棚から手に取りました.そして,裏表紙のトヨトミ自動車の概要を見て予想は確信に変わりました.また作者の名前「梶山三郎」にも興味をそそられました.きっと城山三郎さんリスペクトなんだろうな,と.もっともこれは半分不正解で,どうやら名字の梶山は梶山季之さんから取ったようです.
 愛知県出身で城山三郎さんファンの私は,絶対に読まねばなるまい.そう思って購入しました.なお,この本は前作「トヨトミの野望」の続編に当たるようです.私は前作を読まずに本作を読みましたが十分に楽しめました.
 前作のテーマは自動車業界の厳しい状況と創業一族の功罪についてだったようです.本作でも自動車業界の厳しい状況がテーマなのは同じでしょう.むしろCASEやMaaSといった新しい概念が提唱され,他の業界との境界線がどんどん曖昧となった現在,状況はより厳しくなっているような気がします.
 本作は,そんな厳しい状況に置かれたトヨトミ自動車における,「組織」がもうひとつのテーマに思えます.日本一の営業利益を上げるトヨトミ自動車.業績も更に伸ばしており企業経営が上手にいっているように見えますが,中枢部では醜い権力闘争が起きていました.企業にしろ,戦国時代の大名にしろ,組織が大きくなると硬直化や内部の諍いが起こるのは古今東西同じようです.自動車業界の激しい変化に対応し生き残っていくために,主人公の社長・豊臣統一が奮闘する姿が描かれています.統一が大変なのは自社だけでなく,サプライヤーも含めた企業群全体のマネジメントをしなければならないことです.
 小説の終盤,統一が製品発表会において発して言葉が印象に残っています.

メーカーとサプライヤーは元請けと下請けではなく,真剣勝負をする関係です.私はそんな関係を築きたいのです.

 先日読んだ本の主人公・大原孫三郎は社員を労働者としてではなく仲間として扱い,協力して事業を拡大しようとしました.統一の言葉は,その企業と企業のバージョンのように聞こえます.これからは自律分散の時代と言われます.「100年に一度の大変革時代」を乗り切るためには,トヨトミ帝国として集中するのではなく,協力関係を保ちつつ各々が独立して活動する企業群になる必要があるでしょう.ただし言うは易く行うは難し,です.そのような関係となるには,帝国のトップの適切な舵取りが不可欠でしょう.今後モチーフとなった企業が,サプライヤーとの関係についてどんな方針・方策をとるのか大いに興味があります.
 本作の最後は,2022年のトヨトミ自動車の姿を描いて終わります.果たしてモチーフとなった企業は2年後どんな姿になっているのでしょうか.

梶山三郎,トヨトミの逆襲:小説・巨大自動車企業 ,小学館,2019年

2020年8月10日月曜日

「海と毒薬」から日本人と空気の関係を考える

遠藤周作:「海と毒薬」 

 この小説は太平洋戦争末期の日本陸軍と九州大学が起こした,捕虜を生体解剖するという悲惨な事件をモチーフにしたものです.この事件は,戦争中という異常な状態が引き起こしたのだと言えるのかもしれません.
 しかし,作者はこの事件が起きた理由を,日本人の罰は恐れるけれども罪は恐れないという習性に求めています.「赤信号,みんなで渡れば怖くない」という言葉があるように,日本人は個人の意思よりも全体の「空気」を優先することがあります.個人の罪の意識よりも、他人の眼や社会からの罰を恐れます.本作品での生体解剖を行う医師たちも組織の「空気」に拘束されてしまったといえるでしょう.この日本人の仲間内で醸成される「空気」について考察した本に山本七平さんの『「空気」の研究』があります.
 主人公の勝呂は上司に捕虜の生体解剖実験への協力を求められ,周りの「空気」と自分の良心の間で揺れ動き葛藤します.自分がもし勝呂の立場だったとしたら「空気」に流されずに自分の意思を貫くことができるだろうかと考えされます.

おすすめです.  
『「空気」の研究』とあわせていかがでしょうか.

山本七平,「空気の研究」,文春文庫,1983年 

 

2020年8月9日日曜日

初投稿

読書が好きな理系大学院生です.
特に,城山三郎さんの作品を愛読しています.

読んだ本の感想と書評を徒然なるままに書いていこうと思います.
城山さんの作品を中心に,経済,歴史小説や理系大学院生らしく理系っぽい本(?)まで幅広く書いていきたいです.


よろしくお願いします. 

丹沢山を登る

 先日神奈川県にある丹沢山に登りました.丹沢山地は東京からのアクセスがよいのが魅力的ですね.今回はオーソドックスに大倉から塔ノ岳を経由するルートを選びました.大倉までは 小田急電鉄小田原線の 渋沢駅からバスで15分程度です.小田急電鉄に乗っていると動きやすい服装で大きめのリュック...